さよならドビュッシー


さよならドビュッシー観了。
この映画、観る前に一つだけ言っておきます。
絶対に原作小説を先に読んではいけない。

原作を先に読むのか、後に読むのかという問題は映画を観る上で究極の問題であり、
未だ解決されていない問題であります。
その観る映画のジャンルによって原作を先に読んでもいいし、そもそも読んでた小説が映画化しちゃたよ..という場合もあると思いますが、

この映画は映画を先に観るべき。

それはさよならドビュッシーミステリーであるからというだけではない。
はっきり言って、映画では小説の良さを見事に消されているから。

今回の原作を先に読んではいけない理由はポジティブな理由ではない。
ただでさえ何とも言えない映画なのに原作を先に読むと粗がより目立ってしまうのです...

その粗は原作を先に読むと自ずと見えてしまうので、逐一挙げていくことはしませんが、
主な箇所を挙げるとすると
主人公の障害の描写が薄くなっている。
トリックが大幅に変わっている。
解決と告白のシーンが早い。
が挙げられるでしょう。(ネタバレの可能性有)

主人公の障害の描写が薄くなっている。
瀕死のヤケドを負った主人公が這い上がっていくど根性ものの要素もこの小説の醍醐味です。
しかし唯一治らないと言われた喉や気管のため、声が酷いという設定と主人公を貶す同級生3人組という設定が描かれていません。それでも声の設定は映画でも冒頭はあります。でも途中でうやむやになってしまっています。
この声の酷さは顔も綺麗に治ることから主人公の劣等感を最後まで表す一番の表現であるし、
3人の同級生は主人公の障害と才能に対する差別と妬みをうまく表してしました。
この2つの設定の欠如により、主人公の境遇の悲惨さがそれほど感じられませんでした。


トリックが大幅に変わっている。
家政婦のみち子さんが犯人であることは変わりませんでしたが、その裏でみち子さんをそそのかしたのが会社の顧問の加納としてしまっています。
これではみち子さんが祖父の玄太郎のために犯行をしたということでは終わらず、加納の金銭目的が加わってしまい、結局カネが目的の軽薄な結果になってしまいました。


解決と告白のシーンが早い。
先ほど②で述べたみち子さんの逮捕、そして犯行の解説もそうですが、岬と主人公の対話、そして告白に至る解決のシーンは小説では最後に描かれています。
映画では主人公の演奏シーンを最後に持っていきたいのか、みち子さんのシーンはかなり前の段階で描かれ、解決のシーンも演奏前に行われます。
確かに映画としては演奏シーンで終える方がクライマックスは高まるでしょう。けれどもミステリーとしては最後に解決があった方がいいのではと感じます。

原作小説自体、ミステリー要素が薄く、トリックも凝ったものではありません。小説版の解説でも書かれていましたが、岬先生と共に主人公が障害を乗り越えてコンクールで優勝するというエースをねらえ!的ど根性ものテイストとミステリーのテイストが一緒に味わうことができることがこの小説のポイントなのです。
そのど根性とミステリーの融合を映画では行えていませんでした。
ど根性ものとしても中途半端だし、ミステリーとしても中途半端な
何とも言えない消化不良な映画になっていました。

ここまで文句ばかり行って来ましたが、当然よかったところもたくさんありました。

まず、橋本愛さん。
実はこの映画、橋本愛さんが主演だから観に行ったのですが、この障害を持ったピアニストを志す少女という役どころを見事に演じていたと思います。
でもやっぱり桐島の時の印象が強いなぁ..

この映画の一番の衝撃はやはり岬洋介役の清塚信也さん。
清塚さんはのだめの千秋の弾き換えをしていたことから知っていましたが、
これほどに演技がうまいとは。
独特のおどけた感じと冷たさを持っていて、この岬洋介に本当にピッタリでした。
この清塚さんの演技、そして演奏は見る価値があるかと。

ということで評価的には66点。


ところで中村七里さんの岬洋介シリーズは
さよならドビュッシー、おやすみラフマニノフ、いつまでもショパンが発刊されています。
わたしはおやすみラフマニノフまで読みましたが、このおやすみラフマニノフの方が自分としては好きかな。
シリーズを映画化するのであれば、岬洋介役は是非清塚信也さんにやって欲しい。


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